立ち止まる
都内で通勤時間帯は、駅も電車も混むものです。
携帯を見ながら。というのは相変わらずですが、最近加えて多いと感じるのが、
・階段を上りきったところで立ち止まる。
・改札を抜けたところで立ち止まる。
・電車にのりこんですぐに立ち止まる。
などなど、後続のことを考えてない立ち止まり方をよくされてはイラっとします。
改札に来てから定期やICカードを探し始める人にもこまりますね。
こういう場合、止まれれば避けますが、止まりきれなければ多少なりともぶつかってしまいます。
それで嫌そうな顔をされても、邪魔なところで急に止まったのはそっちだよ。と言いたくなるというものです。
乗り換え案内を見たりするのは、よくあることなので理解できるのですが、なんでしょう、もっと邪魔にならないところで立ち止まれないものでしょうか・・・。
飲食店にて
最近の飲食店、支度中、営業中などの札を下げている店が多い気がします。
別にこれ自体どうということはないです。
今日通りがかってみたお店「お支度中」となっていました。
んー。
お客様に向かって「お支度中」は無いだろ。とおもいつつ。
このような言葉遣いにおける「お」は、相手の行動につけるもの。
よくやりがちですが、「お伺いさせていただきます」も変です。
なぜなら、伺うのは自分なので、「伺わせていただきます」ですね。
なので、店側が自分たちのステータスを表示するなら「支度中」「営業中」の二択で良い。ということですね。
よく、「一度商品のご説明をさせていただきたく」とか書く人もいますが。
ご説明するのはそう書いているあなたなので、「一度商品の説明をさせていただきたく」で十分です。
結果的には相手に気持ち良く話を聞いてもらえればいいとは思ってます。営業なので(笑
ソーシャルゲームの無課金
ソーシャルゲーム。もれなく時々遊んでます。それほどハードユーザーではないと思いますが、時々。
ゲームをしていると、ユーザーさんの中に「無課金貫いてます」みたいな人が出てきます。
無課金で強くなれるならそれはそれですごいです。課金ありきのゲーム構成なので、それはすごい。
それを超えると、「無課金絶対、課金なんてありえない」というちょっと変わった人が出てきます。
挙句には、「このイベントは運営が課金させようとする罠だ」とかね。
ここまでくると、ちょっと勘違いをされているのではないかなと思うわけです。
ゲームの構成上、課金の有無はユーザーが選べるわけで、それをするかどうかはユーザーの判断なのでどうということではありません。
ただ、運営会社が課金してもらえるようにイベントや新しい機能を追加するのは当然のことだと思うのです。
だって商売なのだから。
いうなれば、デパートやショッピングセンターと同じです。
お店に出入りするのは自由、買い物するかしないかも自由です。
お店側は、一点でも多く買ってもらおうと、イベントしたりセールしたり、レイアウトを変えたりと努力するのです。
なので、ソーシャルゲームに於いて、運営会社がなんとかユーザーに課金させようと、いろいろと行動するのは当たり前と言えます。
昔はゲームは買ってするもの。今は無料だけど必要に応じて課金するもの。
そもそも、ゲームはあるとき降って湧いて出たわけでもありません。
プログラマの人たちが作ってるから世に出ます。
無料のゲームも、作るのはタダではないのです。
そう考えると、面白くて毎日ログインするようになったのであれば、額の大小は別として課金しても良いかなと思います。
面白いものにお金をはらう。
ということ自体に違和感はないのですが。
尤も、これらソーシャルゲームの世界には、一定の法則があるそうです。
ユーザーのうち**%はどのくらい課金する。などの法則があるとか。
そのため、開発と運用費用にたいして、何ユーザー獲得すれば元が取れる。
という計算は成り立つようですので、そう言った一部の過激な?ユーザーがいても、困ることはないのでしょう。
たぶん。
中の人がいればぜお話をお伺いしたいですが。
待ち時間をどうつかう
1円を笑うものは
コンビニのレジに募金箱があるのは効率がいいと思う。
そして、小銭が発生するすべてのレジで募金箱を置いてほしい。
特段お金持ちというわけではないですが基本的に10円単位切り捨てで募金に回してしまうわけです。
小銭面倒だし。
さて、昔は1円と言っても今でいう(ry というのがありますね。
ざっくり調べてみると、大戦中の1円の価値はおおよそ今でいう3000円くらいではないか。
という記事もあれば、当時の一般兵士の給与が月額5円だった。という記事もあり、なんとも言えませんが、とりあえず今の一円とは価値観が異なることだけご理解いただければ良いでしょう。
一円を笑うものは一円に泣く。
とは昔の人の?(価値的には割と近代な気もします)諺で、たかが1円と侮っていると、その1円が足りないことで泣きをみるぞ。
要は、その場その時自分の価値観だけで価値を決めてはダメですよ。という事でもあるわけです。
これを面白く言った人がいまして、嘉門達夫というシンガーソングライター?
替え歌メドレーが有名な人です。
一円を笑うものは百円で100倍笑える。わははは。
これは単にネタに過ぎません。
ただ、今日日1円を面白可笑しくできる様な人が伸びるのかなと思うわけです。
時々、募金箱がなくお釣りの小銭をポケットに入れてオフィスに戻ったりします。
その際に、部下に「1円あげるよ」と手渡してみます。
すると
1.「一円てwww 高いゴハンとかオゴってくださいよーwww 飲みいきましょう」
2.「ありがとうございます!いくらか足してコーヒー飲みます」
3.「いや、いらないっす」
だいたいこの3パターン。
1.は営業上手いなと。思うわけです。きっかけはなんでもよくて、でも相手が「1円やるわ」というきっかけを振ってきたので、飲みに行きましょう。
と、1を100にでも1000にでもしようとするタイプ。加えて、懐っこく来るので嫌な気もしません。
2.は元気印という印象を受けつつも、テンションと相手との距離感によっては、小馬鹿にされ返されている気もします。この返しは、普段からの関係性が全てです。
3.はゴメンねw。としか言いようがありません。そんなネタを振った私が悪かったよ。と。ただ、3.な人は、1.や2.の状況をみて学習する場合もあるので、めげずに定期的に振るのもいいでしょう。
とはいえ、真面目なタイプというか、振られたものに対してリアクションで悩んでしまうタイプなんでしょうね。
どれが良いという事でもないのですが、得てして営業は臨機応変さを非常に求められると考えており、商品知識やビジネスマナー的なものも大事なのですが、それと同様に臨機応変さは重要かなと思います。
なので、1みたいな返しができるコは、お客さんにも好かれるし、のらりくらりと上手く世の中渡っていきます。
超トラディショナルで真面目なクライアントには3のようなタイプが良いのかもしれませんが。
無駄こそ美しい
無駄なものほど美しく思える事ってありませんか?
美しいと一言で言うと何か違う気もしますが、得てしてそんな感じ。
効率や性能的な高さも非常に美しく見えるものですが、余裕のある造りというか
そこまでは必要ない。というところまで徹底して作り込まれていると
その無駄には美しさを感じます。
最近、大きなテナントビルでは、5階くらいの階層に、オフィスエリア用のエントランスフロアを設けている事があります。
そう、エントランス"フロア"です。
エントランスではなくてそのためだけのフロア。エレベーターの乗り換えという防犯等々の理由もあるのですが、これこそ無駄の極み。
オフィスビルというのは、1㎡でも多く貸して、賃料を取るのがセオリー
とはいえ、それくらい余裕があるビルの方が、仕事する方もいいって話ですが。
美人みんなほしい。
美人みんな欲しい。
そう思った事ないですか?
街を歩いていると、ちょー可愛い。すっげー美人。て人を見かけては、お近づきに(ry
とやましい事を考えるのが男子たるものです。
出会える確率で言えば、非常に低いわけですが、当然それは何らかの努力をする事で出会える可能性はあります。
ただ、そんな話にはキリがなく、次から次へと出てくるのです。
その時、昨日の美人は忘れてます。
ここで面白いのは、どうも話を聞いてると2種類の人種がいる事。
一人は、自分の奥さんやパートナーを絶対と思い、それに満足をする。
一人は、それはそれとして、もっと上、もっと上へと高み?を目指す。
これは物欲も同じではなかろうか。
車やバイク、パソコン、スマホ。もっといいもの、もっと新しいもの。と目指すのと感覚は似てます。
壊れるまで乗って壊れて買い替える人と、壊れなくてもいろいろ買い換えたい人の違い。とも言えますでしょうか。
また、得てしてコレクション癖とも連動します。
前者は得たものを手放す気はないので、コレクションをしつつ、新しいものを。
壊れて買い替えるタイプの方はおそらくそれっきりと言えましょう。
結果として、前者はそれを維持していく為の自分の周辺環境も重要になります。
故にあらゆる面で高みを目指さなくてはなりません。
一つのもので満足できる。それはそれで幸せかもしれんのだなぁ。と思いつつ。
もっともっとと求めるのが私Mr.3です。